兵庫県と神戸市の関係は安泰である!
年明け1月4日の神戸新聞(朝刊)の見出しを見て、私は思わず「おっ!」と声を上げました。
【明治元年設置、伊藤博文が執務 初代兵庫県庁復元へ】

兵庫県と神戸市は共同で、1868年(明治元年)に同市兵庫区に設置された初代の県庁を、当時の所在地近くに復元する検討に入った。廃藩置県より3年早く誕生し、神戸港開港ともゆかりが深い県の資料も提示する計画で、来年7月の県政150周年までに具体案をまとめる。過去にも同様の構想が持ち上がったが、用地問題などから立ち消えになっていた。


上記の記事を見るや否や、「とうとう県市の関係もここまできたか!」と感動を覚えました。私は昭和48年の神戸市会議員への当選以降、実に3人の県知事と、4人の市長の行政運営を近くで見てきました。ちなみに、この間の両首長を振り返りますと、

県知事:坂井時忠(昭和45年~昭和61年)→ 貝原俊民(昭和61年~平成13年) → 井戸敏三(平成13年~)

市 長:宮崎辰雄(昭和44年~平成元年)→ 笹山幸俊(平成元年~平成13年) → 矢田立郎(平成13年~平成25年) → 久元喜造(平成25年~)

の方々でした。


各人を思い返すと、それぞれに個性のある、素晴らしい首長さんでしたが、いざ、その時々の知事と市長との関係はどうだったかと考えますと、正直、それほど良好な関係にあったとは言えません。兵庫県と神戸市の関係は、むしろ「ライバル関係」といった感じだったでしょうか。そのため、様々な施策をめぐって、小さないざこざを繰り返していた記憶があります。

例えば、昭和60年に市営地下鉄(大倉山~新神戸区間)が開通した際、現在の「県庁前駅」は「山手駅」という名称でした。その後、平成5年に現在の「県庁前駅」に改称されましたが、なぜ当初の駅名は「山手駅」だったのか。それは、「自ら運行する地下鉄の駅名に、なぜ『県庁』の文字を入れる必要があるのか!」という神戸市側の意地の表れだったと記憶しています。このように、県市の関係は必ずしも「仲良し」とは言えませんでした。


しかし、神戸市長に久元氏が就任してから、これまでの県市の関係が大きく改善されました。その動きを最初に感じたのは、平成31年の開設が予定されている新長田南地区での県市合同庁舎(税事務)の整備決定を、井戸知事と久元市長が並んで記者発表した光景を見たときでした。私がかねてから新長田地区の起爆剤として構想していた計画を、この2人が手を組むことによって、瞬く間に事業が決定したのです。また、昨年12月には、県会と市会の議長・副議長が出席する県市調整会議も開催されました。そこに、今回報道のあった初代県庁の話題です。皆様も新聞でご覧になられたかと思いますが、県と市が協調して兵庫運河近くの旧兵庫県庁跡地にかつてあった兵庫城を再建することとなりました。皆様ご存じの通り、兵庫県の初代知事は日本最初の首相となった伊藤博文で、この旧兵庫県庁は伊藤博文が執務した由緒のある史跡です。今回、県と市が協力してこの様な歴史遺産の再建に取り組むことは文化都市神戸にとりまことに大きな財産となることと考えます。

 そもそも井戸知事と久元市長は、東京大学と総務省(旧自治省)の先輩後輩の間柄であり、目には見えない、太い絆で結ばれおり、私も井戸知事と久元市長がタッグを組んで神戸市と兵庫県の発展に取り組んでいることに強く勇気づけられ、この関係がますます強固なものとなれば、私がかねがね主張している「日本一子育てのまち神戸」、「日本一教育のまち神戸」、「日本一介護のまち神戸」の実現がますます容易になるものと確信している次第です。


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by kitayamaj | 2017-01-24 11:29
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